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志戸呂焼について



●志戸呂焼の歴史


静岡県志戸呂焼の歴史は古く、室町後期(1521~)足利氏の太永時代に瀬戸の陶師が焼き創めた「古瀬戸系施釉陶器」が起源とされています。

天正十年(1573~)桃山時代に入り、当時の浜松城主・徳川家康公が美濃国(岐阜県)久尻から招いた陶工13名が、志戸呂焼を復興しました。

そして天正十六年には高三十石の御墨付を賜り、御用窯として手厚い保護を受け地位を確立していきました。こうして高級な施釉陶器製品を生産する志戸呂焼が誕生したのです。

特に志戸呂焼の名が世にとどろくようになったのは、三代将軍・家光公の茶道指南であった時の茶人、小堀遠州公が茶器制作の指導をされ、後に「遠州七窯」のひとつに取り上げられました。これにより一躍天下にその名を高めるに至ったのです。

瀬戸・美濃の技術と小堀遠州公のご指導、遠江の素朴な風土と郷土色を取り入れた志戸呂焼は、独自の渋みと落ち着いた深い風情、侘びた中にも遠州の綺麗寂を色濃く受け継いでいます。

文化的価値の高い随一の伝統陶芸です。